初めて食べたお好み焼き大阪の思い出
Contents menu
  HOME
  歴史
  名古屋
  広島焼き






Copyright(C) Osaka As-you-like-it pancake All Rights Reserved.
 


 

   歴史



お好みの歴史は、安土桃山時代に千利休が作らせたと言われているそうです。

関東大震災の1923年には、主食としての位置を占めました。
昭和になると東京では、”もんじゃ焼き”や”一銭洋食”と持てはやされたようです。
食料不足を補うためですが・・・・・。

それらが、大阪に伝わり、こんにゃくや豆を入れ、醤油で食べる”ちょぼ焼き””べた焼き”が誕生し、その後”お好み焼き”と言われるスタイルになったそうです。

戦前までは、小麦粉を水で溶いたものを、鉄板に薄く延ばしてキャベツなどの具材を乗せて、また水溶きの小麦粉をのせて焼いていました。
子供のおやつのようなものだったとの事です。

関西の下町では、町内に1軒の割合で店があったそうです。
戦後は、その数も一段と多くなり、町内で4軒5軒ある所ありました、その頃、関西では、自宅で焼くという習慣がなかったそうです。
店で焼いて貰って、家で食べるということです。
関西では、出前が活発に行われていたようです。

昭和50年頃から、色々な料理を外で食べるという事が定着し着ましたので、お好み焼きにおいても、店で焼いたものを、その店で食べるという形になりました。

関西では、メニューに“焼きそば””焼きうどん”という表記もあります。
焼きそばとお好み焼きの注文の比率は同じぐらいだということです。

その後町内に数件あった内職的な店もなくなり、繁華街にある専業的な店が他店と味を競うようになりました。